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執筆者の写真卯之 はな

病と病み

更新日:2020年1月9日

※本作品は、子ども向けの内容ではありません。 ご注意ください。



「病」



わたしが彼と出会ったのは、小さな出版社だった。

次から次へとアイディアがわいて仕方がなかった時期、

原稿を持って会社に足を運ぶことが多かった。

でも今日は、ロビーで見慣れない顔を見かけた。


聞いたところ、新人の小説家らしい。

まだ社会人になって日が浅いのか、

希望に満ち溢れたという表現そのものの顔をしていた。

わたしはその目に恋をしてしまったのかもしれない。


そう思ったときには、わたしから声を掛けていた。


お互いの作品を披露するという名目で、

何回かデートを重ねていき、告白した。

喜んで彼は受け入れてくれた。




ふたりは、物語をさくさくと書き上げていく。

わたしも妥協しなかったし、

彼も決して手を抜いているわけでもない。

まるで競争するようだった。

そんな彼を誇らしくもあったし、好きだった。


彼は言う。


「この間の作品読んだよ。 なんとも言えない結末だった」

「なんとも言えない、なんて言わないで、なにか言いなさいよ」

「君が書く物語にハッピーエンドはないのかい?」

「みんな悲劇が好きなのよ。 自分がいかに幸せか実感できるから。

 でも私の物語はバッドエンドにさせないわ。 あなたがいるもの」


会うたびにじゃれ合って、幸せだった。


ある時、こんなことを言われた。


「君ってわかりやすいよね」

「どういうこと?」

「順調に執筆がすすんでいるときは、しっかり前髪を揃えているのに

 ちょっと行き詰まると伸びっぱなしなんだもん」

「わたしのこと、よく見てるんだね」


自分の前髪に視点を移すと、

ぱさぱさと若干伸びている髪をしていた。

確かにそう…

他のことが疎かになって、自分の身なりを気にしなくなる。

女としてだらしないことだけど。

彼に指摘されて、改めて気をつけようと思った。




しばらく経って、環境に変化が訪れた。

馴染みの喫茶店で彼と待ち合わせをした。

だけど、時間どうりに彼は現れなかった。


息を切らせ、席につく。


「ごめん。 仕事が忙しくて」

「いいの。 売れっ子作家だものね」

「そうでもないよ。 まだまだひよっ子さ」


わたしは知っていた。

雑誌でわたしが賞をとった作品が紹介されたとき、

見出しが"今話題の作家の彼女"と記されていたことを。

自分の名前は、その下におまけのように小さく記されていた。


内心、しょうがないな と割り切った。

わたしは最近、物語を書けていない…。




机にパソコンを広げ、

コーヒーを啜りながらストーリーの展開を練る。


以前だったら、ああしよう こうしようと思考が巡っていたけど、

電気回路がショートしたように働かなくなってしまった。


もう、頭の中は空っぽなのかもしれない…。


一口 コーヒーを飲んでから、白紙のパソコンの画面を見た。


…なんだか、前がよく見えない。


前髪が伸びたせいということにだいぶ経ってから気づく。

鏡を見ると、わたしの顔は前髪で隠されていた。


「こんな長い間、わたしは…」


それを見ると胸が締め付けられると同時に、憤りを感じた。

どんなに考えても浮かばなかった結果がこれなんだから。


「なんてだらしないの」


わたしは鏡の前で呟いた。




次に、久しぶりに彼に電話をした。

以前はその声を聞いて心が安らいだものだけど、

今はその欠片もなく何も感じなかった。


「最近、会ってもくれないけど、どうしたの?」


心配そうに聞いてきた。

知っているよ。

会う約束をしても「忙しい」って言葉が返ってくること。


「あなたなら、幸せにしてくれるよね。

 だって、売れっ子作家だもの。 

 あなたなら、わたしの物語、うまく書けるわ」


彼が電話口で何やら言っていたけど、わたしは通話を切った。



さて、伸びた前髪を切らなきゃ。 だってこれじゃあ…


「暗くて、前が見えないわ」


わたしは筆を休めて、震える手ではさみを持った。




----------




数日前に、僕は書き続けている小説のシリーズものを発売した。

評判は上々のようで雑誌のインタビューの仕事も入った。

でも、僕は笑顔を向けることは今はできない。

だって僕は…



「病み」



彼女との出会いは、

応募した作品が受賞しその詳細を聞くために伺った出版社だった。

待合室にいると、僕を見ている視線に気がついた。

振り返ってみると、そこには見知った顔があった。


人気映画の原作者だ。


彼女から、話しかけてきた。

緊張しているのかなんだかもたもたした喋り方で、

話の中身はあまりなかった。

ずっとここにいるのもなんだし、と僕は切り出す。


「よかったら打ち合わせのあと、どこかでお茶でもしませんか?

 お時間があれば…」


そして僕たちは、小さな喫茶店で飽きるまで小説の話をした。




そのまま自然な流れで、僕たちは付き合うことになる。

彼女は幸せな顔をするものだから僕も嬉しかった。

好きだったし、それ以上に好かれていることがわかった。

小説に夢中になっているときは、

恋愛なんてどうでもいいとないがしろにしていたものだから、

どこか懐かしい思いを感じていた。


でも、ひとつだけ ほんの些細なことが気になっていた。


本を出す前に僕に原稿を見せてくれる作品は、

どれもハッピーエンドとは言い難い物語だった。


それが彼女の持ち味と言えるのかもしれないけれど、

彼女の知る不幸のレパートリーが異様に多いように感じる。


もしかして心の底で、悲劇のヒロインを演じたくて

僕と生活しているんじゃないかと少し怯えたものだ。




時が過ぎるのがあっという間で、出会った夏から冬に移る。

そこから、僕たちの関係が少しずつずれていった。


秋に出した新刊が世間に受けて、ベストセラーまでなった。


彼女も喜んでくれた。

その彼女は、だんだんと前髪が長くなっていった。


作品に行き詰まっているのが目に見えてわかる。


そこから、僕が持っていた感情が徐々に気づいた。


有名作家に対して、優越感を持っていることに。




そこからは簡単で、

実は最初から自分の利益のために付き合っていた

正直な気持ちを感じていた。


雑誌のランキングで彼女より上位に立ったとき、

インタビューで"今話題の作家"と紹介されていたとき、

彼女の前髪が少しづつ長くなって顔を覆うようになったとき…


あらゆる時に、僕の存在意義を見出した。

野心でいっぱいだったあの頃に戻ったのだ。




あれから目が見えなくなってしまったが、

「事故」で合意すればそれまでだ。

盲目になった彼女は、もう何からも急かされることもなく、

僕は彼女に起きた出来事を、大っぴらに公開して注目を浴びる。


あの時電話口で聞いた彼女の言葉を、僕は忘れない。

「あなたなら、幸せにしてくれるよね」


これから出版する自伝の中で、幸せにしてあげようと思った。



でも主人公は、

元人気作家の目となり、世間の同情を買う、悲劇の"僕"だ。




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